前回(CとAを行って失敗を認めればいいのに)の続き。

自分が関わってきたいくつかの教育システムの認証・評価に関する審査では、どの場合も膨大な資料が提出され、それを読むだけで一苦労だった。そして、その資料を読んだところで、結局のところシステムを導入した結果がどうなったのかよく分からなかった。そこではPDCAサイクルを回すことが求められており、P(Plan)とD(Do)について、これでもかというほど資料が用意されていた。受審側(大学など高等教育機関)は、認証を受けることが目的なので、審査側(我々)の心証を悪くしないよう気を遣う。だから、提出される資料には、自分たちのPとDがいかに素晴らしいものかを、あらゆるポジティブな言葉で説明してくれる。しかし、ほとんどの場合、C(Check)とA(Act)がぼんやりしており、少なくとも自分には評価のしようがないものだった。たいてい、CとAを行う組織があることは書類上で分かるのだが、そこで何が検討され、結局どうなったのかつまびらかになっているケースはほとんどないのだ。

受審側だけではなく、審査側も問題で、PとDが重厚であればそれで満足してしまう傾向があるように感じる。毎度、重箱の隅をつつくようにシラバスの穴を探したり、授業時間数を計算したりして、「PとDが出来てませんよ」とばかりアラさがしをする。受審側もそこは分かっていて、膨大な労力をかけて緻密な書類を用意してくる。エンドレスなもぐらたたきをしているようだ。もちろんそういった不備を指摘することも必要だが、本質はそこではないだろう。

自分の場合、そういった細かい話は苦手だし、そこに議論を集約させたくはない。なので、単刀直入に「で、結局、このシステムを導入した結果、ご自身の仕事が改善された、良くなったという実感がありますか?」と聞くことが多い。なぜなら、それこそがシステムを導入する目的だからだ。たいていの場合、質問された側は不意打ちを食らったように固化する。そして、ものすごく慎重に言葉を選びながら答えてくれるが、正直な人が相手だと、意外な感想を聞けることも多い。

たいていの認証・評価システムにおいて、PDCAサイクルを回すうえで、成功が必要条件になっているところはほとんどないと思う。教育システムの場合も、ISOの場合も、要求されているのは、一言でいえば、「継続的な改善のしくみが備わっており、運用されていること」というのが自分の認識だ。たとえ目標が未達であったとしても、PDCAが継続的に回されて問題点が明らかになっていれば、理念としてはOKのはずだ(少なくとも自分はそう解釈している)。そもそも、思惑通りに成功する施策がそんなに多くあるわけではないわけで、成功を必要条件にしてしまうと、ほとんどの認証は合格を出せないだろう。

教育の改善は特に時間がかかる分野だと思う。まあ普通に考えて、そうそう簡単に改善の効果は上がらないだろう。それでも施策が成功したことにしないといけないので、それをごまかすために、膨大なPとDで、審査する側もされる側もお茶を濁しているのではないだろうか。そんな目的のために仕事させられる方はたまったものではない。教育システム認証として最も大規模なものとして、大学の認証評価制度があるが、関係者の恨みつらみはいたるところで聞いてきた。曰く、「やっても意味ないじゃん」とか、「大量の書類を用意させられてシンドイだけ」などなどだ(文科省もうすうす気づいている資料)。
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そもそも、システムというのは人が楽をするためにあるものだと思う。交通ルールからインターネットのしくみに至るまでなんでもそうだ。規格を統一して部品を互換できるようにしたり、手続きを簡素化したり、過去記事をアーカイブしたり、機械や装置を導入したりするのは、わずらわしさを避けて楽をするためだ。欧米人はその辺よく理解していて、彼らはいかに楽をして暮らすかを真剣に考えている。かたや日本人は、システムを導入しても、「楽をする」という本来の目的を忘れて、いつのまにかシステムのルールを守ることが目的化してしまう。そして、何だか分からないが頑張ってる感を出すために、作業は常に複雑化、煩雑化の一途をたどる。かつて自分が審査したところも、年々制度が複雑化して、そのうち破綻するんじゃないか、というところがあった。

PDCAサイクルもシステムなので、うまく使えば楽をできるのではないだろうか。本来は、このスキームに従って業務を回せば、自然と改善が見込めますよ、というものだ。もちろん、うまくいかないこともあるが、そのときは素直にCとAをすればいい。成功の見込みが無ければPそのものをやめればいい。それがなぜか日本では「PDCAを回す」+「必ず成功する」という地獄のコンビネーションが幅を利かせてしまっている。そして世界一のマゾ民族である日本人は「成功しないのは自分たちのPとDが足りないからだ、もっとPとDをよこせ!」とさらに自分を追い込んでいく。認証・評価の審査員にもそう思っている人が結構な割合でいる。そろそろ日本人も失敗すること、方針を変えること、楽をすることに寛容になったほうがいい。今の時代、たいていの当初プランなんてすぐに陳腐化する。玉砕必死でPとDしまくるより、そっちの方がよほど頭を使うし建設的だ。うまくいかなければ、早めに切り上げて方針転換するほうがよほど21世紀型だと思うが、どうだろう。