あまり詳しいことは言えないが、とある教育システムの国際標準について、評価と認証の仕事を仰せつかっている。仕事量は膨大だし、当然無報酬なので断るつもりだったが、たいへんお世話になった大学の先生に「もちろん引き受けてくれますよね」と眼光鋭く迫られたので、貫禄負けしてOKしてしまったものだ。最近その仕事が佳境に入って、一日中pdfを読んだりオンラインで会議したりで、やらなきゃよかったと思うが後の祭りだ。何事も経験と思うしかない。

国際標準の認証とは、決められたルールに従えば与えられるライセンスのようなものだ。たとえばISO(国際標準化機構)は一般によく知られているだろう。ネジならISO68、写真のフィルムならISO5800という国際標準規格がある。モノの規格だけではなく、品質管理、文書管理、環境対応など、ありとあらゆる分野で国際標準がある。上述したように、自分は教育システムに関する仕事のお手伝いをしていることになる(注:ISOとは関係ない)。

ISOに限らず、いろんな分野の認証があるが、認証を受ける際、よく要求される事項に「PDCAサイクル」がある。組織で働いたことがある人なら聞いたことがあるだろうが、PDCAサイクルとは、Plan(計画)、Do(実行)、Check(評価)、Act(改善)のことである(Wikipedia)。何かのタスクを実施するうえで、このサイクルを回せば常に改善を図れますよね、という考え方だ。たとえば、ISOの一部のマネジメントシステムでは、一度ライセンスを取ったらそれでOK、というわけではなく、このPDCAサイクルを回して絶えず業務の改善ができるように仕組みを作ってください、というのが認証の必要条件である。
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PDCAサイクルの考え方は昔からあって、日本では2000年頃に官公庁系で大流行し、何でもかんでもPDCAという時期があった。最近だとトヨタの現場におけるPDCAなんかが良く例に挙げられたりする。ただ、一部の成功例をのぞいて、ほとんどの場合、うまく使いこなせたという事例を聞いたことが無い。そのため最近ではPDCAよくないよね、のような意見も多い。また、PDCAサイクルは一度Pを決めると、Aまでプロセスを進める必要があるため、変化の激しい分野にはあまりそぐわないとの指摘もある(たとえばこんな記事)。一方、国際標準や教育分野など、一種のコモディティともいえる分野ではPDCAサイクルは有効なのだろう。これらの分野では、PDCAサイクルがあたりまえに必要とされることが多い(たとえばISO9001文科省中教審)。

自分はこれまで何度かPDCAサイクルにかかわったことがある。前職(民間企業)、現職(高等教育)、そして今携わっている教育システムの認証が主な場所で、業務改善に関する仕事が多かった。しかし、いずれの場所においても、程度の差こそあれPDCAサイクルがきちんと回せているところは少なかったように思う。なぜなら、少なくとも自分の経験した限りで、PDCAサイクルの結果、何かが変わったという記憶がほとんど無いからだ。目的としていることとPDCAサイクルが合っていないのか、それとも使う人間のほうが悪いのかわからないが、とにかく、ご利益があったかどうかさっぱり分からないのだ。

これにはおそらく理由がある。思うに、日本の組織では「PDCAサイクルを回すこと」だけが注目され、いつしかそれが自己目的化しまい、結果がほとんど吟味されないからだろう。にもかかわらず、「PDCAサイクルが回って業務が改善された」ことにしなくてはならないので、みんなで「PDCA回したよね」という集団催眠にかかっている、のではないか。だから、良く分からない目標と、結局どうなったか分からない結果が書かれている書類だけが増え、上層部の人間は手柄を誇るが、実働部隊にはやらされ感だけが残る。厳しい言い方になるが、こんな状況は日本中いたる所にあるような気がする。

日本型組織でPDCAサイクルをうまく使いこなせない、という問題はいろんなところで議論されていて、
  • PDCAサイクルそのものが目的化している
  • ヘンテコなPを作った挙句、Dを現場に丸投げする
などはよく挙げられる理由だ。これに加えて、自分の経験から言うと、
  • 日本型組織の中の人はCとAを嫌がる。
というのが大きな理由ではないかと考えている。そして、この点に日本の良くないところが煮詰まって凝縮しているような気がする。

ちょっと長くなるので、次回以降に続きます。